「冠塀台石垣」の謎に迫る!上田城跡発掘調査現地説明会レポート

長野県

暑さの残る夏の日、私は8月25日に上田城跡公園で開催された発掘調査の現地説明会に参加しました。

この説明会は、上田城の復元・整備に向けて進められている発掘調査の進捗状況を市民に伝えるために開催されました。

今回の説明の中心となったのは、上田城跡公園の旧市民会館駐車場周辺に位置する「冠塀台(かんむりべいだい)石垣」の発掘状況です。

現地に到着すると、上田市教育委員会生涯学習・文化財課の担当者から、現場の状態を見ながら詳細な説明が始まりました。

参加者は30名ほどで、私もその中に交じり、興味深く耳を傾けました。

紙資料ではなくQRコードを活用した説明

説明会は、紙の資料ではなく、QRコードを利用してスマホやタブレットで資料を閲覧できる形式が初めて導入されました。

紙の節約と環境保護への配慮が感じられ、これからの発掘現場での説明会もデジタル化が進んでいくのだろうな、と感じました。

参加者の中には、「紙の資料がほしい」という方もいましたが、その際には希望者に紙の資料も提供されており、柔軟な対応がされていました。

しかし、デジタル資料については少し課題がありました。

紙の資料をそのままPDF化したもので、スマホの画面では図や文字が小さすぎて、内容を確認するのが難しかったのです。

現代の多くの人がスマホを主な情報端末として使用していることを考えると、やはりスマホでの見やすさを考慮したデザインやフォーマットが必要だと感じました。

予想外の大雨で変更された順路

当初予定していた場所は、前日の大雨によって水没してしまい、水抜きがされたものの、ぬかるんでいたため急遽順路が変更されました。

そのため、現場の中に入って直接見ることはできませんでしたが、担当者が丁寧に説明をしてくださったおかげで、状況はよく把握できました。

特に、説明中に現場を写真に撮ることが自由だったため、皆がフェンスの外からカメラを構えて記録を残していました。

冠塀台石垣の名前とその由来

今回の説明会で特に興味深かったのは、冠塀台石垣の名前についての話でした。

この石垣の名前は、実は江戸時代の絵図には登場しないもので、松平家の文書に基づいて明治時代に名付けられたとのこと。

私たちが普段見ているお城の名称や歴史には、後世の解釈が含まれていることを改めて実感しました。

また、石垣の一部が解体され、その石がどこか別の場所で再利用された可能性があるという話も興味深かったです。

石垣の基礎構造と軽石の謎

今回の説明会でさらに興味深かったのは、冠塀台石垣の基礎構造に関する発見でした。

石垣の一番下には「根固め」と呼ばれる基礎が設けられており、これは現代の住宅でコンクリート基礎を打つのと同様の役割を果たしていました。

しかし、江戸時代には当然コンクリートがなかったため、石を詰めて基礎を作り、その上に石垣を築いていたのです。

さらに、この基礎の中には柔らかい軽石が意図的に詰められていることが分かってきました。

昨年度に掘り起こされた本丸の櫓(やぐら)の大黒柱の基礎からも同様の軽石が確認されていました。

この軽石が上からの重みで潰れて粉々になり、石と石の隙間を埋める役割を果たしている可能性が考えられます。

担当者の推測によれば、軽石が潰れることを想定して、意図的にそのような構造が採用されたのではないかということです。

このような工夫は、上田城を普請した仙石忠政の手によるものであり、他の地域や事例と比較しても特徴的なものだと考えられています。

これからの調査で、さらなる解明が期待されます。

発掘調査の進展と今後への期待

今回の発掘調査で見つかった石垣の一部は、昨年度の調査結果と合わせて、新たな発見として報告されました。

説明会で得た情報をもとに、私もさらに上田城について勉強したいと感じました。

また、今回の説明会では、冠塀台石垣の再現や武者溜りの整備など、発掘調査の成果が今後どのように活かされるのかについても言及がありました。

上田城の復元・整備が進む中で、今回の調査結果がどのように反映されるのか、今後の展開が楽しみです。

まとめ

現地説明会に参加して感じたことは、発掘調査は単なる過去の発見だけではなく、未来への展望も含んでいるということです。

今後も上田城の発掘調査に注目し、その進展を見守りたいと思います。

上田城を訪れる際には、ぜひ今回の説明会で得た知識を活かして、より深く歴史を感じてみてください。

説明会に参加することで得られる感動は、他では味わえないものです。

皆さんも機会があればぜひ、次回の現地説明会に参加してみてはいかがでしょうか。

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